初めに高橋良明に出会う前の池田の話にふれておきます。

僕は高校2年・3年は喫茶店のバイトに明け暮れていました。

学校の勉強は二の次三の次です。

高校を卒業したら喫茶店の店長にならないかと言われていたので、先のことなど考えず、のんきなものでした。

喫茶店の常連さんで水戸黄門の製作会社のプロデューサーの方がいました。

高3の12月、ある日突然プロデューサーの方に「池田君、もうすぐ高校卒業だよね。就職決まった?」と声をかけられました。

特には決まってませんと話したところ、高木美保さんのマネージャーをやらないかと言われました。

バイトだけは一生懸命やっていたので、僕の接客応対を買ってくれていたようです。

当時僕はテレビを見る生活をしていませんでしたので高木美保さんを知りませんでした。

結局、入社後高木美保さんの担当には一度もなりませんでした。

その日から1週間後位だと思います。

飯田橋にあった東京宝映テレビ㈱に面接に行きました。

ほぼ即採用の電話があり、あっさりと就職が決まってしまいました。

今から数年前に、当時東京宝映テレビの芸能部部長だった土屋さんと話したところ、僕の採用が決まるのも当然で、水戸黄門の製作会社のプロデューサーの方の紹介はよほどの人でない限り、二つ返事で即採用だったそうです。

なるほど~(涙)

僕はマネージャーの仕事内容は全く知らず、タレントさんについてまわるくらいにしか思っていませんでした。

年が明けたら早速来てくれとのこと。正月の1月5日から出社しました。

なので、高校3年生の3学期は、午前中は高校に登校し、

午後は都内の飯田橋にある東京宝映テレビに出社するという二重生活を送りました。

初仕事は東京宝映テレビのタレントの濱田万葉さんに付いて、

映画『首都消失』の試写会に行って来い・・・とのことでした。

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濱田万葉さんは、主演の渡瀬恒彦さんの娘役で出ていました。

濱田万葉さんに付いていったものの、僕の格好は高校の制服のままでした。

濱田万葉さんは、現在ホリプロ所属の女優さんです。

周りは東宝のプロデューサーや、他の事務所のマネージャーさんなどばかり。

制服姿の僕は濱田万葉さんのマネージャーという立場だけで、訳のわからないままポンポンと東宝の偉い方の名刺をたくさんの人からもらいました。

そんなこんなで高校を卒業し、4月から晴れて東京宝映テレビの社員になりました。

仕事はTBSや製作会社などから台本を取ってきたり、撮影のエキストラの現場での点呼、ドラマやコマーシャルのオーデションの立ち会いなどを、主な仕事としてこなしていました。

その年の5月の下旬頃だったと思います。

上司の林マネージャーが、「池田、今日はちょっと事務所にいてくれない?」とのこと。

30分もしないうちにお母さんと一緒に、まるで七五三のような黒いスーツを着た中学生の男の子が入ってきました。

それが、高橋良明との初めての出会いでした。

僕の良明に対する最初の印象は、いいとこのお坊ちゃんでした。

高校の時はバイトの喫茶店に没頭して、入社してからも慌ただしく過ごしている僕には、テレビの世界にいながらテレビを見ている時間がありませんでした。

そのため、4月に放送された『うちの子にかぎってスペシャル2』で話題になった高橋良明さんを知りませんでした。

ファンの方、本当にごめんなさい。

林さんは、事務所に良明とお母さんが入ってくるなり、

「ここにいる池田が、これから良明さんの現場を専属で担当します」と、突然紹介されました。

僕は何のことだかさっぱり分からず、この人とこれから行動を共にするんだということが、漠然と分かっただけでした。

ところが、7月に入っても良明との仕事がほとんどありません。

たまに雑誌の取材がポツンと入るくらいでした。

林マネージャーに聞いたところ、8月から彼が主演のドラマ『オヨビでない奴!』の撮影が始まると聞かされました。

その後の忙しさはご存じのとおりです。

良明を知らなかったことは、良明に対して変に気を使ってしまうような先入観や緊張がなく良かったのだと今でも思っています。

高橋良明との出会いはこんな始まりでした。

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